· 

汽車走る

わたしが4歳だったころ、一家4人は

裏町のまことに小さな家で暮らしていた。

ときおり公園に紙芝居屋が立つこともあった時代だ。

父は、家から勤める製鉄会社まで自転車で通っていた。

まだテレビのない時代で、夕食後、家族はラジオに耳を傾けながら

それぞれの時間の中にいた。

電球の明かりとラジオの声の下、チラシやカレンダーの裏に

毎夜わたしはクレヨンで絵をかいた。

そしてそれはいつも、線路を走る汽車の絵だった。

あまり熱中して、母が包んでくれた棒状の駄菓子を口に入れるつもりで

何度もクレヨンをかじっては、母に口をすすいでもらった。

ところでわたしの幼い頭は、大いに悩んでいた。

汽車は真横から見ての姿をかく。つまり蒸気機関車に列車がつながり

列車の窓がいくつも横に並ぶ。

線路はどう描くかというと、2本の水平線を引き、枕木となる垂直線を

チョンチョン、チョンとまるで事務的に並べる。

けどそうすると、どうも汽車が走りにくい。

汽車は横から見ているのに、線路は真上から見てかいている

その矛盾(もちろんそんな言葉は知らないが)が、悩みの種だった。

ある晩、なにかの弾みだったのか描き方を変えてみた。

2本の平行線の間隔を狭くして、枕木のチョンチョンを斜めに並べた。

すると、真上から見下ろす線路ではなくなって、汽車が走り出した。

わたしはそのことをまず母に伝え

少し喜んだ母が父に伝えたが、父は上の空といった反応だった。

父の反応にがっかりしなかったのは

沸騰したわたしの喜びのほうが、はるかに熱かったからだろう。

その後、4歳男児の情熱は赤胴鈴之助へ、5歳になると月光仮面へと

蝶がさなぎを脱ぐように移っていった。

そして、65年が過ぎた。

ずいぶんと小さくはなったが、わたしの口の中には

融けてなくなることのないアメ玉がまだあって

ときどき思い出しては、口の中で転がしたりしている。