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『向田邦子の恋文』向田和子

……父の死は突然であった。

 昭和四十四年二月、邦子三十九歳のときだった。

 あまりにあっけない死で、こんなに苦しみもなく死が訪れたことへの驚きが私には大きく、すぐには涙も出て来なかった。途方に暮れる家族を尻目に姉はテキパキと葬儀の準備を進めた。その頃には別所帯になっていたので、表に立つことは控え、母と弟の保雄にまかせた。あくまでも自分は身を引き、仰々しく仕事関係の献花を手配したりして自分の立場を見せつけることはなかった。

 あれは、通夜か告別式のいつのことだったか、姉は父がいつも座っていた茶の間の席の前に正座し、深々と頭を下げていた。ひとの気配を感じてか、すっと我に返った姉。私は思わず息を呑んだ。忘れられない、消すことの出来ない姉の姿。……『向田邦子の恋文』(向田和子/新潮文庫)より抜粋

 

【コメント】書き手は妹の向田和子。私は邦子のエッセイの大ファンで、それゆえに彼女が、家の一軒も買えるかと思うほど父親ネタで筆を振るったことを知っています。ただそれは、才知ある娘がカタブツの父を揶揄するという向きではなく、あきらめ半分ながらも父を立て、父に仕えるに徹した父娘関係でした。そしてその晩、邦子の姿を妹は見たのでした。独身のまま早逝した彼女ですが、心中になにを組み伏せて生きぬいたのか、私は知りたくてなりません。