なぜそんな独り旅をしたのか、話すと長くなる。
暗黒舞踏は土方巽が創始した踊りの一流派だが
かなり異質かつ異形のものだった。
剃り上げた剃髪の男たちが、フンドシ一丁だけを身にまとい
所作の美を求めているとは思えない動きで
突っ立ったりしゃがんだり、はたまたイモムシのようなあがきを見せる。
当時のわたしは芸大生で、創造とは何かをひたすら探求し
犬も食わないだろう答えを探し求めていた。
そんなとき、観衆の前でイモムシのあがきをして見せる暗黒舞踏に
答えのひとつを見つけた思いだった。
人は芸術の名の下なら、ここまで品性をかなぐり捨てられるのか
じつはそうした驚きにこそ、気持ちを揺さぶられたのかもしれない。
あの人たちの舞台の外での顔を見たい、それが独り旅の目的だった。
泊めてもらった翌朝、南部君は「町においしいパン屋がある」といった。
またオートバイで出かけ、パンを買った。
「焼きそばを作るのが得意」というから、小さなスーパーで
麺と少量の野菜を買ったが、肉代をわたしはケチッた。
鳥海山を遠くに眺めて帰りつくと、彼は肉のない焼きそばを作り始めた。
台所から湯気の立つ皿がうやうやしく運ばれて、見るとそれは
ソースの中を麺と野菜が泳ぐような仕上がりだったが
それが彼の「得意」料理なのだった。
昼前、彼に見送られてわたしたちは別れた。その夜は福井のお寺に泊めてもらい
翌日京都に帰り着いた。
だから、どうだというのだと、わたしはこの一文を締めくくれないでいる。
翌年、京大西部講堂で彼の属する舞踏団の公演があった。
そのあと講堂裏で簡単なバーベキューの宴が催された。
わたしは南部君と再会し、そこでも彼は愛想よくビールをついでくれた。
暗黒舞踏という、数年で流行の前線から消えていった
その麻疹(はしか)熱のさなかでわたしたちは出会った。
病が去ったあとの身に残る余韻のことなど、他人が興味をもつはずもない。
南部君の思い出もきっとそのようなものなんだと、わたしは思っている。