大学生のとき、中古で買った90㏄のオートバイで
京都から山形をめざした。
季節は晩春だったように思う。
その夜は、どこだったかもう忘れたがJR線の無人駅のベンチで寝た。
次の日も走りづめで、夕方になってようやく目的地に着いた。
オートバイを降りたのは、当時、暗黒舞踏派として名を馳せた舞踏団の本拠で
彼らが伽藍(がらん)と呼ぶところの、木造の大きな建物の前だった。
その前年、数人の仲間とそこでの柿(こけら)落としに訪れていたので
いわば再訪ではあったが、前もっての連絡も許可もないままの訪問だった。
剃り上げた頭と裸体に白粉をまぶした団員たちが、その日も激しく
練習しているかと期待したが、そこには誰もいなかった。
いやじつは1人だけいて、みんなは遠くにある道場の手伝いにいったと
その留守番の若い男はいった。
剃髪のその団員は、南部貢(なんぶみつぐ)君といって
わたしより1、2歳若かったかもしれない。
南部君は独り残された淋しさもあってか
突然訪れた僕を招き入れて、麦茶と駄菓子を出してくれたが
屋内を一瞥するだけで、貧しい生活の様子が見てとれた。
思い返すに、たぶん彼は一円も現金を持たされていなかったのではないか。
それでも愛嬌のある男で、「近くに屋台のおでん屋がある」といった。
よし行こうと、わたしは南部君をオートバイの後ろに乗せた。
ふたり屋台に膝をくっつけて腰掛け、南部君は裸電球が照らすオヤジの顔に
軽く挨拶を投げたが、返事はなかった。
わたしのことを京都から来たなどと紹介して、「お酒、アツ燗で」と
南部君は注文した。
熱い酒がコップにつがれ、わたしの前だけに置かれた。
「あれ?」なんて、照れと戸惑いのまじる声で南部君はいって
事態を飲み込んだわたしは「僕が払いますから」とオヤジにいった。
おそらく団員全員でもって、ツケをため込んでいるのだろう。
ようやくコップが出てきて、僕らはおでんをつついた。
屋台から帰ると、町民ならタダで使えるという風呂場に案内してくれ
薄暗く人のいない湯に、ふたりでつかった。(続く)